5月の PICK UP MOVIE !『喝采』“年老いてこその、広やかな世界”(文:田村志津枝)

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年老いてこその、広やかな世界

 青春映画はあまたあるが、高齢者や老齢期をじっくり語ったものはそれほど多くはない。無理もない。青春を通過中あるいは通過した人はたくさんいるのに、老齢期はといえば多くの人にとって未知の領域なのだから。
 だがここに、長い人生を生きてきたからこその、円熟した精神世界を味わい深く描きだした映画が現れた。キャストもスタッフも高齢の実力者で固められていて、自分たちのありのままを表現へと昇華させた感動作だ。
 主人公は、ブロードウェイで長年にわたって活躍してきた舞台女優のリリアン・ホール。彼女はこんどチェホフの戯曲『桜の園』の主役を演じることになり、リハーサルに余念がない。ブロードウェイには400もの劇場がひしめいているというが、リリアンは劇場に歩いて通えるセントラルパーク近くに居を構え、栄誉も名声も手にした華やかな演劇人だ。
 ところがある日、リリアンはセリフに詰まり演技もやり損なうという失態を演じてしまった。ただでさえ競争の激しい演劇界だ。プロデューサーは代役起用を主張するが、新進気鋭の演出家デヴィッドはリリアンに固執する。『桜の園』の主人公、財産も家も失って没落していく貴族リューバの役は、どうしてもリリアンに演じて欲しい。リリアンだからこそ表現できる苦しみ、悲しみ、喜びがあるはずだ、との思いが彼の表情から滲み出る。
 リリアンはクリニックを訪れ、認知症との診断を受ける。彼女自身、2年前から手の震えに気づき、それを隠してきた。医師は今後は幻視幻聴の症状も出るだろうと警告する。それを聞いてもなお、リリアンの『桜の園』の主役を演じる決意は揺るがなかった。
 だが病状は進んでいく。リリアンの眼前にたびたび、数年前に世を去った夫の幻覚が現れるようになる。演出家の亡夫とは長年にわたって舞台作りの情熱を分かち合ってきた。幻のなかの夫は魅惑的で美しく、リリアンが引き込まれいくのもごく自然だ。
 そのうえ病状の悪化に伴って、リリアンと娘の関係も危うさを露呈する。娘は、舞台に夢中だった両親に粗略にされたわだかまりをいまだ解くことができず、リリアンを献身的に支える助手に対して激しい嫉妬心をぶつける。
 舞台で主役を演じようとするリリアンは、混沌の渦中にいる。あの世からリリアンに呼びかけてくる夫、長年にわたる娘との確執、親友でもある助手の捨て身の支援、演出家デヴィッドの薄氷を踏みつつの大きな期待、出演者仲間の辛辣な眼差し、そしてなによりも大勢の観客たち。
 それらを全部一身に背負ってリリアンは舞台に挑む。『桜の園』の初日の幕が開いた。リリアンならではの舞台は、どのように立ち現れるのだろうか。

『喝采』
[2024年/アメリカ/英語/スコープサイズ/110分]PG12
監督:マイケル・クリストファー
出演:ジェシカ・ラング、キャシー・ベイツ、リリー・レーブ、ジェシー・ウィリアムズ、ピアース・ブロスナン
原題:THE GREAT LILLIAN HALL
配給:彩プロ  
©️2024 Crazy Legs Features LLC

田村志津枝
ノンフィクション作家。一方で大学時代から自主上映や映画制作などに関わってきた。1977年にファスビンダーやヴェンダースなどのニュー・ジャーマン・シネマを日本に初めて輸入、上映。1983年からホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンなどの台湾ニューシネマ作品を日本に紹介し、その後の普及への道を開いた。

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5月の PICK UP MOVIE !『喝采』“年老いてこその、広やかな世界”(文:田村志津枝)

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『喝采』

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