10月の PICK UP MOVIE !『沼影市民プール』“都市開発で 失われるものは何か”(文:田村志津枝)
都市開発で 失われるものは何か
四方を海に囲まれたこの日本。わが長野県のような「海のない県」は多くはない。この映画を見てあらためて、そこの人々にとってプールがいかに大切かを思い知った。
タイトルになっている沼影市民プールは、1971年に「海なき市にプールを」の合言葉のもと、現在のさいたま市に建設された。その市民プールが2024年に、52年の歴史を経てついに取り壊されてしまった。この作品は、プールが閉じられるまでの49日間を記録したものだ。しかも特筆すべきは、徹底的にプールの現場をみつめ、そこに集う市民たちにとってこのプールとは何だったのかを描き出そうとしていることだ。
夏の暑い日、自転車に幼子を乗せて、親たちがプールに集まってくる。浮き輪やボールを持ってプールに向かう子どもたちの顔は、満面の笑みだ。スマホやゲームが普及したせいで外遊びが苦手などと言われる彼らも、プールを喜ぶ顔は数十年前の私たちと変わらない。そのことに、むしろ新鮮な驚きを覚えた。ウォータースライダーや子どもプールを親子で楽しむ人々がいる。かと思うと競泳用のプールで長距離泳を続ける高齢の女性たちがいる。見事なスピードで抜き手を切る人もいる。プールは人々の楽しみや健康維持に、どれほど貢献してきたことか。
そのプールを日々支える大勢のライフセーバーたちは、緊張の連続だ。清掃や整備や接客のスタッフたちも、こまごまとした問題解決に奔走する。一方で、プール取り壊し反対運動をする人もいる。市は2022年にプールを壊して小中一貫校を建設することを決めてしまった。だがそれさえ知らない市民が大勢いる。せめて取り壊しを延期して市民の声を聞いてくれ、との願いは無視され、プール閉鎖計画は粛々と進められた。
プールで知り合った人たちも大勢いる。52年間無事故でプールを守ってきたスタッフたちも、ここで多くを経験し学んだ。周辺の商店も、プールがなくなれば生活はまったく変わってしまう。
思えば都市開発の名のもとに、私たちの身辺でも公共空間の解体や撤去が進み、生活や風景が激変することは頻々と起きている。居場所を奪い、それにまつわる思い出さえも失くしてしまう都市開発とはいったい何だろうか。しかもこの傷みきった地球の表面を、これ以上いたずらに破壊することに意味はあるのか。
プールで見せる、大勢の市民たちの文字通り裸の素顔を捉えながら、その背後にある大きな難題を目の前に突き付けてくるこの作品。言葉にしきれない市民たちの思いをも代弁する静かな秀作だと思う。
『沼影市民プール』
[2025年/日本/16:9/ステレオ/80分]G
監督・撮影・編集・録⾳:太⽥信吾
エンディングテーマ曲:SuiseiNoboAz「それから」
企画・制作:ハイドロブラスト
配給:NAKACHIKA
(c) hydroblast.
田村志津枝
ノンフィクション作家。一方で大学時代から自主上映や映画制作などに関わってきた。1977年にファスビンダーやヴェンダースなどのニュー・ジャーマン・シネマを日本に初めて輸入、上映。1983年からホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンなどの台湾ニューシネマ作品を日本に紹介し、その後の普及への道を開いた。
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10月の PICK UP MOVIE !『沼影市民プール』“都市開発で 失われるものは何か”(文:田村志津枝)
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『沼影市民プール』
