4月の PICK UP MOVIE !『金子文子 何が私をこうさせたか』“何が彼女を自死させたのか”(文:田村志津枝)
何が彼女を自死させたのか
金子文子は、いまから100年も前に真っ向から天皇制を否定し、大日本帝国の帝国主義にも鋭い批判を浴びせた。本作のタイトルでもある『何が私をこうさせたか』は、文子が立松予審判事に促されて獄中で綴った手記を、彼女の死後に同志たちが出版したものだ。夭逝した金子文子を知るうえでの手掛かりとされているが、文子の家庭環境や生育歴は判事も同情するほど苛酷なものであったという。
映画の冒頭、13歳の金子文子は朝鮮半島の芙江で入水自殺を図る。だがふと思いとどまり、このままでは死ねない、私を苦しめたものに復讐をしなければ、と決意する。
それから6年後、1923年の関東大震災後の混乱の中、金子文子は同志であり同棲相手でもあった朴烈らとともに保護検束の名目で逮捕された。相次ぐ尋問で2人は巧みに誘導され大逆罪の犯人に仕立てられる。彼らが皇太子に爆弾を投げて殺そうと計画した、との喧伝は、震災後の朝鮮人虐殺に対する非難をかわしたい国家権力には好都合であった。
1926年、大審院で朴烈と金子文子は大逆罪で死刑判決を受ける。朴烈と別れ、文子は宇都宮刑務所栃木支所に送られる。映画の大半を占める独房での日々の描写が、とかく激しい感情を露わにしがちな文子の内面を肉付けし、その思いをうまく伝えている。
獄中の金子文子は、反省文を書け、転向声明を書けとの圧力に頑強に抵抗する。だが随所に挟みこまれる彼女が獄中で詠んだ短歌からは、凄絶な孤独や諦念が溢れ出す。回想場面は彼女の思索の軌跡を伝える。朝鮮半島に住む祖母の元に身を寄せた彼女は、祖母から蔑みと虐待を受けた。だがその一方で学校に通い、日本人が朝鮮人を差別抑圧する様を知り、朝鮮人たちの独立運動も目撃した。その後の朴烈との出会いは、彼女にとっては心温まる実り多き思い出だ。獄の女性職員や教誨師との触れ合いは、国家権力に命を翻弄される一人の女性の姿をあぶり出す。
金子文子は本作中でも、彼女を大逆罪に追い込んだ一人でもある立松予審判事について、「権力側の人間ではあるが、私の話に真剣に耳を傾けてくれた」と語っている。だが実際には立松判事は、文子が獄中で書いた手記を、彼女の希望通りに同志に渡す前に、都合の悪い部分をハサミでずたずたに削除してしまったという。これは文子が手記を託した同志・栗原一男の証言だが、元々は何が書かれていたか、いまとなっては知る由もない。
金子文子は23歳という若さで独房で縊死した。本作中で文子は「4年も獄にいて、自分の思想は虚無主義から個人主義的無政府主義に変わった」と語っている。もしその先も生きていたら、誰と出会い、どんなふうに生きて、何をしただろう。彼女を死なせてしまったのは何か、と考えずにはいられない。
『金子文子 何が私をこうさせたか』
[2025年/日本/121分]PG12
出演:菜葉菜、小林且弥、三浦誠己、吉行和子、大方斐紗子、菅田俊、結城貴史、佐藤五郎、洞口依子、白川和子、鳥居しのぶ、和田光沙、咲耶、巣山優奈、贈人、森了蔵、関根大学、浅野寛介、足立智充
監督:浜野佐知
脚本:山﨑邦紀
撮影監督:髙間賢治
音楽監督:吉岡しげ美
製作・配給:旦々舎
©旦々舎
田村志津枝
ノンフィクション作家。一方で大学時代から自主上映や映画制作などに関わってきた。1977年にファスビンダーやヴェンダースなどのニュー・ジャーマン・シネマを日本に初めて輸入、上映。1983年からホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンなどの台湾ニューシネマ作品を日本に紹介し、その後の普及への道を開いた。
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4月の PICK UP MOVIE !『金子文子 何が私をこうさせたか』“何が彼女を自死させたのか”(文:田村志津枝)
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『金子文子 何が私をこうさせたか』
