四畳半物語 娼婦しの

過去の上映作品

本年2月13日に亡くなった、上田市出身者としては初の映画監督で名脚本家・成澤昌茂の追悼上映企画です。監督が残した5本の長編映画の中から、現在上映可能な全3作品を全作フィルム上映します。

[上映日程]5/1~7(休映:5/6)

“ 噂の中の四畳半 ”

男殺し!男泣かせ!可愛い女!悶える女!四畳半に生きる娼婦たち!
荷風好みの女の世界をねっとり描く

[解説]
永井荷風の原作『四畳半襖の下張』を「かも」の成澤昌茂が脚色し自ら監督した風俗もの。撮影は「隠密侍危機一発」の鈴木重平。

[あらすじ]
待合“立花”の四畳半には、娼婦しのと旗本くずれの客糺が一つ枕に甘い夢を貪っていた。糺はしのの親切にこたえて、友禅模様の美しい紙入れをあたえた。が、これはもともとしののものであった。--しのには情夫の竜吉がいた。竜吉は、しのが“豊国”の女中をしていた昔の知り合いで、しのを“立花”に売ると、自分は車夫になって、せっせとしのの客をはこんでいた。そして、この友禅模様の紙入れは、竜吉がしのから巻きあげ、糺が竜吉からスリ取ったものだったのだ。しかし、しのはその事実を黙っていた。その夜の糺の親切が、うれしく心にしみたからだ。こうして、しのは竜吉にかくれ糺と逢う瀬を重ねるようになった。しのは、ひたむきに糺に尽した。そうすることによってしの自身も救われるかのように……。糺も、そんなしのの情愛にうたれて、スリを止め印刷工として、まじめに働きだした。そして、なけなしの財布をはたいて糺は簪をしのにおくった。しのは、糺に心が通えば通うほど竜吉に強く当った。竜吉も、盲従することしか知らなかったしのの心の変化を読み、糺の存在を知ると、しのを脅し、すかし、二人の仲を裂こうとやっきとなった。が、意外にも別れ話は糺の口から出た。家柄を買われて、良家に養子に行くというのだ。しのは糺を愛しぬいていた。だから一時のさびしさはあっても、しのは素直に糺の幸運を喜んだ。自分はまた隠れて逢う瀬を楽しめばいいのだと……。だが、こんなしのの心を知った竜吉は、女将のお種にたのんで、しのを朝鮮に鞍替えさせようとした。そして、竜吉はしのを呼び、朝鮮に行かねば糺をスリとして直訴すると脅した。しのは断る言葉もなかった。その瞬間、糺が竜吉を刺した。竜吉に秘密を知られ、密告を恐れた糺の兇刃であった。が、恋に盲目のしのには、自分への愛情がこうじて竜吉を刺してくれたとしか映らなかった。--「娼婦にだって真心があるんです」いつかしのが糺に言った言葉通り、しのは糺を待って、今日も“立花”の四畳半に紅色の影をおとしていた。

『四畳半物語 娼婦しの』
[1966年/日本/モノクロ/シネスコ/89分]
監督・脚本:成澤昌茂
原作:永井荷風
撮影:鈴木重平
照明:和多田弘
音楽:伊部晴美
出演:三田佳子、露口茂、田村高廣、野川由美子、三島ゆり子
製作:東映京都
配給:東映
©️東映

◎[鑑賞料金]
特別鑑賞料金(一般)¥1,500/(シニア)¥1,200/(大学生)¥1,000/(高校生以下)¥500/映劇会員一律¥1,000(年パス不可) 
*回数券、福利厚生券、招待券、MTAチケット及び一切の割引サービスが利用できません。

成澤昌茂(なるさわまさしげ)
1925年生まれ。長野県上田市出身。1941年、溝口健二の内弟子となる。1944年、日本大学芸術学部卒業。1947年、脚本家として出発。溝口健二監督「赤線地帯」(1956年)などの脚本を執筆。1958年、松竹会長大谷竹次郎の知遇を得て舞台劇に転出。1962年、「裸体」で映画監督に転出。「四畳半物語 娼婦しの」(1966年)「花札渡世」(1967年)、「妾二十一人 ど助平一代」(1969年)、「雪夫人繪圖」(1975年公開)を監督。1977年以降、舞台劇の演出、脚本に専念。2021年2月13日、老衰のため死去。

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